2012/01/14

多数派・少数派

書くのをすごくためらっていたんだけど、まぁいっかと思って書くことにした。
去年、同じ専攻に留学生がほとんどいない中で勉強してるときにずっと思ってたこと。


まず、
privilegedな環境の中で、多数派で同質な人間同士が群れることの愚かさ。
(privilegedって言っても、正確には本人たちがprivilegedと過信してるだけだけど)

そういうところにいれば、エラそうな議論をし、自分の意見は受け入れられ、前提や価値観を共有でき、とても心地よい。でも、少数派異分子という立場からそういう集団を見て、それでホントに大丈夫なんだろうか?って思った。
言ってしまえば、自分の考え方がフランス人学生たちにことごとく受け入れられなかったことに対するエゴな反感にすぎないのだけれども、そういうとこでぬくぬくしていたら、どんどん違った考え方を受け入れることができなくなってくんじゃないか?って思った。
そして、そういうとこにいる人間が、官僚とか経営者とかになって、社会のマイノリティや、非熟練労働者として働く人間の気持ちがわかるんだろうかと。閉塞感を打破するような革新的なアイデアを思いついたり、進展するグローバル化の中で国際人としてやっていけるのかと。

これは別にフランス人の学生を批判したいわけではなくて、問題はむしろこれが僕に思いっきり当てはまるということ。東大にいて、価値観の合う友達と、国のために××したいとか、語り合うことに満足して・・・。自分ってなんてダサいんだろうかと思った。


一方で、少数派としての自分の至らなさも痛感した。
こっちの学校でいっぱい知り合いはできたけど、その中でもしょっちゅう連絡をとったり遊んだりして仲良くしてる友達の多くは留学生(スペイン人・中国人・イギリス人・イタリア人etc.)。もちろん、フランス人で仲いい子もいるが、周りにいた人数や常に仏語を話してることを考えると、想像してたよりはるかに少ない。

たしかに、フランス人の方が仲良くなりづらかったのは、彼らが群れていたというのもある。実際、フランス人同士でもEcole Polytechniqueから来た学生(約4割)と、もとからENPCの学生(5割強)との間ですら混じらないというのも事実。

でも、本質的な問題は、僕には相手の文化や習慣を理解しようとする姿勢が欠けてたということ。
(学部生ほど若くなく)大学院生としてきたのだから、必ずしもこっちの文化に過度に同化せずに、自分がいいと思うところだけ吸収して、悪いと思うところはマネしないでおこうと強く思ってきた。でも、その考えに逃げ道を見出してた。たとえば、困ってる人を助けないのはフランスの文化の悪いところなんだと捉えて思考停止してた。彼らは個人的な関係を築けばめちゃくちゃ親切にしてくれるし、そもそも個人的な関係を築くためには、どんどん腹を割ってというか、自分の思ってることをガンガン積極的に話してく必要がある。

そういうのを棚に上げて、相手のせいにしてたと思う。
ちょっと自分はこれに気づくのに時間がかかり過ぎたのかもしれないけど、少なくとも今は相手のことを知ろう・理解しようという気持ちを持って接することで、フランス人はじめいろんな人と話すのが格段に楽しくなった。


まぁ、どっちの視点で見ても、自分の改善すべき点は明らかなのであって、
もっといろんな人と交わり、いろんな価値観に触れたいと思う次第であります。

2 件のコメント:

  1. 同じ海外住まいとしてハッとさせられた!ハッハッハ

    専門のタコツボとかコンフォートゾーンにとどまるのってすっごく気持ちいいし負荷低いんだけど、それってかなり機会損失してるんだよねー。

    異文化理解も、まーこりゃ言葉にすると簡単なんだけど、意外と手強いよね。頑張り過ぎるとストレスになって続かないし、気を抜くといつの間にか日本式に戻ってる。俺も頑張らねば。

    そろそろまたスカイプしよーやー!

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  2. ハッハッハ!

    異文化理解が、言うは易し行うは難しだというのは、ほんとその通りよね。その点はしょーごが言うと重みが違うわ!

    スカイプしよー!DMかメールかしとく~!

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